2018/12/5 分身ロボットカフェでお茶を @虎ノ門 東京

ALS等の外出困難な方がOri-Hime(オリヒメ)を通じてサーブしてくれる期間限定カフェDAWNに行ってみました。良い意味でとても期待を裏切られる、新しい体験でした。これまで他の実証から感じたことも含めて、その要因を少し分析してみます。

******

①役割による安心感


ロボットが何をするのか、今回はカフェのウエイター、という、初めから最後まで使い手にもお客様にも役割が明確なので、まずそこに不信感を抱くことがありません。参加者全体に共有された『カフェでの振る舞い』という経験知があるため、たとえロボットが不審な動きをしても、「あ、こっちへ戻ってきてくださーい」「そのカップこっちのテーブルですよ」と言えるという”あるべき”行為が人間側に見えていることに対する安心感は大きいです。

*********

②言語コミュニケーションの安心感

ロボットの向こうに人がいるテレプレゼンスなので、会話はほぼ自然に成立するのですが、これができるコミュニケーションロボットは今のところないので、それ自体が随分新しい感覚!(遅延=delayのなさも重要なポイントです)

その向こうに生身の人間らしい会話を認めた瞬間に、外観にまったく煩わされなくなる、というか、そのインターフェースとしてのロボットの存在を(コミュニケーション上は)忘れてしまうほど。インターフェース自身が否応なく主張(!!!)してくるアンドロイドとは異なり、Ori-Himeのシンプルな外観が生きて(?)います。

動けるジェスチャーは首、腕、手を振る、くらいしかないのですが、それ以上の必要性を感じないくらい、言語によるコミュニケーション成立の功績は偉大。なんだろう、最後は言葉で言えば通じる、と思える安心感かしら?

↑操作方法の体験も出来ます

 

同じことがカメラやマイクにも言えます。ロボットから見えているのかいないのか、聞こえているのかいないのか、という認識確認を示すインターフェース上のデザインは今回ロボットについていないため、他のロボットでは不信感の源泉になり得てしまうところ、今回はお客様の側が「あ、見えますか〜?」「聞こえますか〜?」とロボットに話しかけながら、潜在的なギャップを自発的に埋める手助けをしているのが印象的でした。結果、どこまでが見えているのか聞こえているのかはデジタルには理解できていないにも関わらず、その範囲を「相手と確認出来た!」という事実自体が、コミュニケーション全体への信頼感を補強している、というのは大きな発見でした。

*******

③制約条件が人の行動を変える


移動自体はライントレースで動き自体もとてもゆっくり。ロボット間の連携制御はしておらず、基本1ロボットを遠隔の1人がパイロットする形なので、たまにぶつかり合ったりすることもありましたが、それ以上に、ロボット同士が声かけしながら避け合ったり、お客さんが後ろの見えないロボットに「後ろからもう一台来てますよ」と教えてあげたり、ラインの上は避けておこうという意識が働いたり、環境や技術の制約条件が、人間の行動を変え、求めるタスクを安全に実行出来る手助けとなる、とても良い事例でした。

手元が見えないロボットさんに、トレイからお菓子をちゃんと受け取った事を伝えるために、わざわざ見える範囲にお菓子をかざして「ありがとう」と言うなど、お客様の側がロボットとのコミュニケーション成立を確認する手段として、人間側が新たなタスクを自然に追加しているのも、面白かったです。

*******

ただ、③はある程度①②に依存する部分もあるので、技術の上限と社会認知とを考慮した、トータルでのデザインが必要なのは言うまでもありません。その意味で今回のカフェ実証は成功と言えるのではないでしょうか。

実用の場面でお客様がやってしまえる事までも技術で全て賄おうとさえ思わなければ、実用に足るロボットのユースケースは近い将来実現しそうな事をうかがわせる体験でした。コスト面は別ですが、外出困難な方の就労支援という側面を考えれば、別の文脈で支えられることがあるかも。

 

******

今回実証だから、お客さんがみんな優しいだけなんじゃ?

と思われた方がいれば、かなり自信を持って否定することができます。私自身、サービスが成立する以上のエンターテイメント性はロボットに必要無いと考える派ですが、今回の実証で証明されたのは、人が向こうに介在する限り、カフェ配膳に求められる最低限の応対は人間(お客様)の助けを借りながらロボットの身体で実現出来る、という事だと言えます。是非、多くの方にこの感覚を体験して欲しいです。

******

最後に。

吉藤さんによれば、日本に1万人いるALS患者のうち7割は人工呼吸器を付けない選択をされるのだそう。それはこの世界に生きていくこと、世界と関わることに、諦めを感じてしまっている数と同じだとお話していました。それらの方に、外の世界と関われるチャンスを提供できるのだとすれば、分身ロボットには社会的な意義があるし、そこには「”人間”と関わる新しい一形態」だからこそロボットがヒューマノイドという形である理由がある、と心から思いました。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です